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B-18は、アメリカ陸軍航空隊向けにダグラス社が開発した爆撃機である。ダグラス社の社内コードはDB-1。愛称はボロ”Bolo”(山刀)である。 == 概要 == 機体は民間向けのDC-2の主翼とエンジンを流用し、胴体を爆撃機仕様に再設計したもので、1935年に初飛行した。開発コストの低さゆえ、機体価格も安価となり、アメリカ陸軍は133機もの採用に踏み切った。これは、当時としては異例の数である。 機体に爆弾倉を設けたため、胴体下部が膨らみ、主翼はDC-2の低翼配置から 中翼配置となった。爆撃照準のために機首がガラス張りとなっている。また、防御兵装として、機首及び胴体後部の上下に銃座が設けられている。双発機であり、左右主翼に各1機ずつレシプロエンジンを装備している。 試作機DB-1は1935年4月に初飛行し、ボーイング社のモデル299(後のB-17)やマーチン社のモデル146と同時に評価試験を受けた。モデル299は性能が期待されたが、高価であり、1935年10月30日に試作機が墜落したこともあり、DB-1がB-18として採用されることとなった。1937年より部隊配備が開始されている。 1930年代のアメリカ軍の主力爆撃機になりえたのは、B-18が$63,977とライバルに比べ安価であったためであるが、第二次世界大戦が始まる頃には、とても実戦に投入できる性能ではなくなり、日本軍による真珠湾攻撃をはじめ、太平洋戦争の緒戦では地上で多数が大破された。さらに日本軍は数機を鹵獲したものの、性能の低さから活用することはなかった。 爆撃機としては性能では充分ではなかったが、同時期に大西洋ではUボートによる損害が激増していたため、B-18は対潜哨戒機に改造された。対潜哨戒機に改造されたB-18は、尾部にMADブームを取りつけていた。しかし、対潜哨戒機に改造されたB-18も、1943年には一線を退き以後は練習機や輸送機として使用され、戦後に何機かは民間に払下げられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「B-18 (航空機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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